日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

懐疑主義の持つ特定の心理を奉じない積極的判断停止の立場 ~心の平静をもとめるひとつの知恵

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前回のお話

エピクロスの哲学と原子論の考え方とキリスト教における自然観の対立 - 日々是〆〆吟味

 

特定の真理を奉じない懐疑主義の積極的判断停止の立場

ローマ時代の哲学はストア派とエピクロス学派と懐疑主義、なんて書きましたが、実際にはストア派とエピクロス学派が二大巨頭で懐疑主義はあんまり大きな勢力ではなかったそうです。というのも懐疑主義というのはその名の通りあまり積極的になにかを述べるような哲学ではなかったからですね。

 

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懐疑主義とわからないことの宙ぶらりん

懐疑主義というのはある意味変な哲学で、世の中の真理というものが結局わからない、というような考え方のようです。ストア派やエピクロス学派は自分たちの哲学の中に真理があると主張しますが、懐疑主義はそんなの間違いだ、と言うわけですね。

 

【アナス,バーンズ『古代懐疑主義入門』】 

(懐疑主義についての詳しく説明はこちらをご覧ください。私も一応昔に読んだのですが内容は忘れてしまいました)

しかしこの懐疑主義の立場というものが、意外とストア派やエピクロス学派と同じ動機によって支えられているというのはちょっと意外でもあります。

 

わからないことを選ぶ懐疑主義

懐疑主義はとにかくなにか真理(つまり絶対に正しいと思われるもの)がありましたらそれに対してああでもない、こうでもない、と論理的に批判して相手の立場を崩していってしまうものです。その結果論理的にはどのような立場も成立しなくなってしまいます。

 

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これを無責任、なにが正しいのか自分で言わない、という風に怒ることも出来るのですが、懐疑主義の側からすると全然そんなものとは違うと言います。というのもそうしたわからない立場というものをわざわざ選択する、ということこそ懐疑主義の立場になるからです。

 

判断停止と心の平静

こうしたAともBとも言えない、というような立場をエポケー=判断停止と懐疑主義の人たちは呼ぶのですが、それは真理を否定しているのではなく、なにか特定の心理を求めて闘争し続けることから解放されることを目的とするわけです。

 

ストア派もエピクロス学派も心の平静(こっちはアタラクシアと呼ばれる)を求めて自分たちの哲学の真理というものを主張しました。しかしストア派もエピクロス学派も自分たちの哲学こそが真理であって、他の哲学の立場を真理だとは思いませんよね。それはストア派やエピクロス学派だけでなく他の分野においても同じかもしれません。キリスト教が護教論をしなくてはいけなかったのも、ユダヤ教が他と同調してしまわないのも、自分たちの立場というものが大事だからですね。真理がひとつだとしても、それは自分たちのものだときっと思うのです(違うかな?)。

 

【セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』】 

(ちなみに懐疑主義の古典はこちらになります。ピュロン主義というのは懐疑主義の別名で、ピュロンという人の哲学が懐疑主義ということですね。こちらの解説に書いてあったことも詳しい説明でしたと思います)

そうした時に懐疑主義は、どちらとも言えない、といって判断停止することによって特定の立場から距離を置くわけです。そしてこの距離を置くことによって自身の心の平静を得ようとするわけですね。

 

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なんだか現代でも通用しそうな考え方ですが、マルクス主義からこっちこうした態度は日和見主義者として評判が悪くなりました。けれどもこうして古代の哲学から考え直してみるのも面白いかもしれませんね。

 

次回のお話

ピュロン主義としての懐疑主義とセクストス・エンペイリコスの著作『ピュロン主義哲学の概要』や『学者たちへの論駁』の歴史的意義 - 日々是〆〆吟味

 

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お話その267(No.0267)