日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

同じ条件としての人間集団と個別な個人としての人間存在 ~人間はそれぞれ別でも中身は同じものを与えられているかもしれないが、それでも個々は別の存在

スポンサーリンク

スポンサーリンク

 

前回のお話

 

みんな同じ生きているから、と日本社会のような共同体の一生一緒な生活形態 ~ヨーロッパ個人主義とは異なる意味の精神と外からの認識 - 日々是〆〆吟味

 

同じ条件としての人間集団と個別な個人としての人間存在 ~人間はそれぞれ別でも中身は同じものを与えられているかもしれないが、それでも個々は別の存在

 個々人というものが原理的に断絶されたもの、異なっているものだというのになぜみんな一緒のような考え方が出てくるのか、といえば、それはそこにいる人たちにとって与えられる価値観がほとんど同じだからだ、というふうに考えてみました。

 

個々の存在とそれぞれの条件 〜グラスと中身の違い

これはなんとなく理解しやすい考え方かもしれませんね。たとえば5つ別々のグラスやカップがあったとして、そこに同じコカコーラを入れれば中身はみんな同じコカコーラです。ひとつだけペプシコーラになったりファンタになったりすることはありません。そそがれるコーラが同じなら、それぞれ別の入れ物に入っているものもみな同じコーラになります。

  

f:id:waka-rukana:20200809003051j:plain

 

同一的条件と個々の存在の独立性 〜中身が同じだとしてもグラスまで同じわけではない

しかしだからといってそれぞれに存在しているグラスやコップは同じものなのか、といえばそんなことはありませんね。ひとつ目のグラスがバカラでふたつ目が100均でみっつ目が結婚式の引き出物…なんて分けていく方法もあります。この場合バカラとか100均とかいうのを田中さん佐藤さんというふうにわけていけば、個々人の独立性がなんとなく感じられるかもしれません。

 

 

また逆に5つともすべて100均であったとしましょう。見た目も値段もそそがれているコカコーラという中身も同じものですが、しかしそれでも物理的には異なるものです。コップ1と2はその銘柄や中身という点で同じであっても、そこに存在しているという点においてはそれぞれ一致しません。たとえばデカルトは同一の空間に別の存在があることは出来ない、と述べていますが、それと同じようにたとえ同じコップ同じコカコーラであっても同時に同じ空間上に存在できない以上、それは物理的に別個の存在です。

 

【デカルト『幾何学』】 

 

条件が同じだとしても同じ存在になるとは限らない

これは条件や属性が同じであれば同じ存在なのか、という問題ですね。そのためたとえば現在二十歳で東大に一浪して入り親は自営業でエロ本屋を営んでいる経済学部の吉田さん、という人が2人いたとしてもそれが同一人物ではないことと同じことです。こんな条件に当てはまる人そうはいないと思うのですが、しかしだからといって同じ条件に当てはまるというだけで特定の人物しかいないと考えるわけにはいきません。そしてもし同じ条件に当てはまった人物が2人いれば当然その2人は別々の人間なわけです。

 

【宮台真司『きみがモテれば社会は変わる』】 

(この本だったかどうかは覚えていないのですが、宮台真司の先輩だったか同級生だったかに、東大いったんだけどやたらとエロ本に詳しい奴がいて、聞くと実家は本屋でしかも本棚自体がくるりと回転して警察の巡回があった時にはやりすごす、なんて話が出てきました。面白い話だったので覚えていて、ちょっと今回の例に使ってしまいました。しかしなんとも言えないタイトルですね。内容は自分が変わることによって社会に働きかける力も備わり、世の中も変えていけるようになる、というようなものだったと記憶してるんですけど…と思っていたら本が見つかったのでちょっとめくってみたところ面白い先輩の話は載っていませんでした。どうやら違う本のようです…どれだったんだろう)

 

個々人に与えられた条件が同じだとしても、その個人と個人は違う人物である

これと同じように100均のコップにそそがれているコカコーラの中身が同じだとしても、人間として同じわけではありません。いくら条件が共通していても原理的には異なる存在です。ですがこのコップの水準において人間をはかるのではなく、そそがれたコカコーラのような中身で人間をはかるとすれば、そのなかに分類が生まれてくることになります。

  

f:id:waka-rukana:20200807170831j:plain

 

たとえば100個グラスがあり、50個にコカコーラ、20個にファンタ、20個にサイダー、10個に麦茶、というようにわければ、100個なら100個のグラスの個別性よりも4種の中身の差違性によって個々のグラスを判断していくかもしれません。

 

こうして個別のグラス=個人を中心とした見方は中身に入れられた飲み物の種類=集団的属性によって塗り替えられていくのかもしれませんね(だってその方が分類楽だからかな)。

 

次回のお話

入れ物や容器(グラス)を中心とした人間観としての個人と、同じものから共通してそそぐ中身(コーラ)を焦点とした人間観としての集団 ~人間は同じように共有するものによって本来違う別々の存在である個人も同じように捉える - 日々是〆〆吟味

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村

お話その227(No.0227)