日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

個人の評価と未知の領域における判断基準 ~私とあなたの断絶と了解により相互確認しあうことによって生まれる相互理解

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前回のお話

私の自由はあなたの自由を守ります 〜個人主義と他人の迷惑 - 日々是〆〆吟味

 

 個人の評価と未知の領域における判断基準 ~私とあなたの断絶と了解

他者という病 (新潮文庫)

他者という病 (新潮文庫)

 

最近なに書いてるのか自分でもわからなくなってきていますが、確か個人主義とか集団主義といったようなことを書いていたのだと思います。ごちゃごちゃしてきて頭の中ややこしくなってしまっていますが、頑張ってもう少し続けてみたいと思います(前回ブックマークで励ましてもらえました。わーい。ありがとうございまーす)。

 

私とあなたは断絶されている

私とあなたの関係というものがあたかもひとつであるように感じるのは、原理的に考えてみると不可能なようにも思えます。自分自身の中で感じるものをあなたが同じように感じているのかは保証できません。なぜならなにかと接した時に感じることが出来るのは自分自身のものだけであって、あなたを含む別の誰かの感覚は私には直接知ることは出来ないからです。ここでは感覚の直接性という点で私とあなたは断絶されていることになります。

 

お互いにこう感じるものだという了解

しかし逆の観点もなりたちます。つまりある物事と接した時に感じるものは大体このようなものだ、というお互いの了解がある場合です。ミシュランに載っているお店は美味しいもんだ、とか、アカデミー賞を獲っている映画はいいに違いない、とか、大ヒットしているんだからこの漫画はおもしろいはずだ、とかになるでしょうか。

 

 

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もちろんこれらは直接接してみるとそうとは思えないこともありますね。いつだったかある食料品売り場でTV番組で取り上げられていたものが並んでいた時があったのですが、そばを通ったお客さんが、あれ○○に出てたで、あほ、あんなもん嘘に決まってるやろ、おいしいわけないやないか、なんて会話をされていました。なんとなくわかるような気がします。せっかくTV番組で宣伝されていて美味しそうに見えたのに、期待して食べてみたらそんなでもなかった、だまされた、というような気分でしょうか。

 

 

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個々人で確かめられ判断出来ること 〜たとえば味覚

しかしこれは個々人が確かめられることだから、一応自分の判断が決められるわけです。食べ物は大体誰であっても好みというものがはっきりしているような気もします。というのも誰であってもまず毎日なにかを食べているからですね。そのため食べることに関してはおいしいまずいといったことは毎日判断しているわけです。

 

【ブリア=サヴァラン『美味礼讃』】   

 

それだけでなく味覚なので直接その感覚は自分に伝わって確かめることも出来ますし、親しい間柄であればその都度どれがおいしかったかまずかったかも伝え合うことも出来ます。この関係性の中においては私とあなたの関係は常に交流されたものとしてあり、自分の中でしか知られることのないものも意見として交換しあっていることにもなりますね。

 

知らない分野=未知の領域の判断基準 〜たとえば純文学

しかしこうして自分で直接知ることのできないようなもの、もしくはよく知らないことなどにおいては自分で直接知り判断することが出来ません。なんだかくそ難しくてわけのわからない純文学でどれが現代の名作で駄作なのか、ほとんどその分野に触れていない人間にはわからないかもしれません。しかし芥川賞といわれたら、偉いのかな、と思います。そしてそれだけでなく又吉直樹みたいに芸人でありながら芥川賞なんてとったらスゴい! と思うのは当たり前のような気もします。そして『火花』を読んでみると、おお、これが芥川賞か、みたいに思うかもしれません。

 

【又吉直樹『火花』】   

 

 

【小谷野敦『芥川賞の偏差値』】   

(又吉先生の作品は有名となったこの作品しか読んでませんが、私は結構いい作品だと思いました。そして小谷野敦にはこんなひねくれた本もありまして、歴代の芥川賞を勝手に採点しております。結構けちょんけちょんにけなしていて、そこが面白くて読みどころなのですが、『火花』は普通の出来と50点台でしたが、他の受賞作と比べると点が良い方だったりします。しかし意地悪な本ですね)

 

こうなってくると自分にとって知らない分野や世界のことについてはさほど的確に判断することが出来なくて、世間的な評価に従ってしまうことが起こってきそうです。デュルケームは人間の認識は社会(集合表象)から与えられる、と考えましたが、そうして与えられる認識に対して判断材料がなければそのまま受け入れてしまうことになる気がします。そして食べ物のように誰でも自分なりの評価を持っているものならともかく、そうでないものに対しては判断するための基準すらない中で判断するので、事実上判断出来ないと思われます。そしてそこにある評価を受け入れるか、感覚的に反発するか(つまり明確な理由が出せない)になってしまうわけですね。

 

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感じ方の手本に従ってしまう知らない未知の領域の判断基準

そうした時、私もあなたもよく知らない未知の領域の事柄に対しては世の中で通用している、私たちにとってなにもせずに向こうからやってきて耳に入ってくるような感じ方の手本のようなものがあった時、それは私もあなたも同じように感じるものだ、という了解のもと同じように感じているのかもしれませんね。

 

う〜ん、今回はちょっとマシだったような気もするけど、でも不十分で物足りない気もするなぁ…また続けて頑張って書いてみようかと思います。

 

次回のお話

断絶された各個人と同じような我々 ~個人と集団の人間観の変遷 - 日々是〆〆吟味

 

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 お話その224(No.0224)