日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

タレントの存在意義となる現代社会における自我の代替者/投射対象としてのスター ~私の代わりとなるカリスマ(俳優,歌手,スポーツ選手)を生み出し続け機能する芸能界という社会システム

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前回のお話

自分探しでカリスマ(暗示者)を求めてるのが群衆状態? 〜自分探しと自我の喪失 - 日々是〆〆吟味

 

わたしの代わりの誰かさん〜現代社会と自我の代替者

現代社会と自我のゆくえ

そんな群衆と自我のゆくえですが、未開社会のような通過儀礼を失った現代ではどこで成長の境界線を引けばいいのかわからなくなってきます。しかも現代社会では無個性な個人によって代替可能な仕事が増えていっているのだとしたら、私たちは根本的に群衆みたいな在り方に規定されていてそもそも自我の確立なんてこと自体が不可能事と化しているのかもしれません。

 

【フロイト『自我論集』】 

(フロイトが自我について書いたものをまとめたもの。難しくてよくわからない)

 

自我(私?)の代わりの誰かさん

しかしそんな現代においてもやっぱり群衆化しているかもしれない私たちにとって自我の代替者は求められるわけです。それを政治的に行うとちょっと危ない今日この頃な気がしてきますが、経済的(商業的?)であれば当たり前に存在しています。それがタレントやイベントの存在ですね。

 

【テレビ・タレント人名事典】 

(これ結構面白い事典で、発行時点でのタレントの経歴や出演番組なんかが記載されています。ちょっと古いのですが、その分昔のTVの様子がわかって少し笑みがこぼれてきます)

 

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たとえばスポーツ選手の活躍に自分を重ねてみることはあるでしょうし、歌手や俳優にも同じことはあるかと思います。実際本当に偉い人はたくさんいますし、そこから学ぶことだって色々ありますしね。実業家でも現代アートに興味持つ時は自分たちの仕事と重なる面がある、なんて言ってたような気もします(どこでだったか覚えてないので勘違いかも…)。

 

それぞれの分野のカリスマ・スター

こうした人たちはある種のカリスマであってスターなわけですね。野球なら長嶋茂雄、歌手なら矢沢永吉、俳優なら高倉健なんかがそうなのでしょうか(古い?)。ファンは彼らを尊敬していると同時に、自分のありたい姿として自らを重ねているのかもしれません。何者でもない私が万人に認められた彼らに憧れるのは当たり前といえば当たり前ですね。

 

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そしてこうしたスターはそれぞれに活躍する場があります。スポーツならスタジアム、歌ならライブ会場、役者なら銀幕と、各々もっとも輝く場所が用意されています。そしてそこでひときわ輝く存在としてスターたちが現れ、見ている側は一時的に彼らに自らを託すのです。

 

【モラン『スター』】 

(映画がまだ目新しかった時代に映画俳優=スターを分析したものだそうです。ただ私はまだ読んでいません。面白そうですね)

 

時代と共に変わり、新しく現れるスターたち

またこのようなスターとイベントは様々な分野で存在し、時と共に変化して新しいものも出てきます。昔であればアイドル歌手が芸能界の中心でしたがM-1以降芸人が中心を占めているように見えます。またアイドルもバラエティに強くなったことで逆に芸人の場所を奪い返しつつあるようにも思えてきますが、代わりにかつてのアイドルのようなことを今度は声優が場所を占めているようにも見えてきます。それぞれの分野と人は変わっているのですが、スターとイベントが存在し続けていることには変わりありません。

 

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現代社会システムに組み込まれる自我代替機能

それは商業化され経済システムに組み込まれた自我代替機能のようにも受け取れないこともありません。つまり複雑化された現代において自我の確立は困難を極める(と、みなされる)中、擬似的に自我を投影させて自らを支えるような存在としてスターやイベントがあり続けている、ということです。そしてそれは未開社会の通過儀礼を現代社会において擬似的に生み出していると考えてみることも出来るかもしれません。しかも事実上資本主義システムから逃れることの出来ない現代社会で、きっちりと経済システムに組み込まれた形で機能していくようになっていて、もしかしてこれは人間存在に対する現代社会の叡智だったりする可能性もあるのでしょうか。それともマルクスが非難した資本主義的搾取の形のひとつで、自我の確立すら商品化され金を巻き上げているのでしょうか。はたまたアダム・スミスが近代的経済システムの叡智として称賛した分業の一種なのでしょうか。

 

【ヘネップ『通過儀礼』】 

(文字通り未開社会における通過儀礼について書いた本。その構造について分析されていたような覚えがあります)

【ブーアスティン『幻影の時代』】 

(まだTVが目新しかった頃のTV論で、この中にTV等を通して社会的に演出される擬似イベントという考え方が出されています。これを洗練させたら今日のイベント事のようになるのかな、とふと思い浮かんだので載せてみました。それにしても映画にしろTVにしろ、現れた時点で実に批評的に学者の手によって分析されているもんですね)

 

そんな難しいことはわからないのですが、しかし意外と人間の持つ根源的な在り方と結びついた形で私たちの周りにあるものは成り立っているのかもしれませんね、というところで今回のお話は終えておこうかと思います。なんか疲れててうまく書けなかったなぁ。

 

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お話その202(No.0202)