日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

群衆と政治と文化:現代における演出化された群衆と政治利用 ~スポーツ観戦やライブにおける熱狂と演出された群衆の政治への応用の危険性

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前回のお話

群衆って村人みたいなもん? 〜群衆の特徴と共同体の特徴。これらは似ているのだろうか… - 日々是〆〆吟味

 

群衆と政治と文化 〜群衆ってどこにいるの? 群衆は政治的に問題とされ、文化的に演出されているのだろうか?

群衆と現代 〜共同体的現象と似ているなら、なぜ現代に問題として現れるか?

群衆が近世/近代的な現象ではなく、共同体的な在り方と似ているかもしれない、なんて書いてみましたが、それならなぜ現代においても群衆のような現象が起こり問題も出てきそうなのか、ちょっと不思議な気もします(もちろん群衆が共同体的というわけではなく、近代的な現象でしかない、という可能性だってあります。その場合私が勘違いしてるわけですね)。

 

【ル・ボン『群衆心理』】 

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まぁ少なくとも大衆が現れてきた理由が経済システムの変化による都市への大移動、と考えた場合と同じように、歴史的な推移が群衆が現れてきた原因のようには思えない気もします(これも私の勘違いかも)。というわけで、一応私なりにでも群衆の現代的要因みたいなことでも考えてみましょうね。

 

【オルテガ『大衆の反逆』】 

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日常的に出くわさない群衆的状況 〜現代の群衆はスポーツ観戦やライブで起こる?

群衆が集団に埋没することによって個人を喪失し、自分を失って集団=周りの様子に感化されて巻き込まれて感情的にも一体化してしまう、そのようなものだとすると、現代では中々日常的にはありえない状況のようにも思います。別にスーパーに買い物行ったり、バス乗っててもそんなことは起きませんからね。

 

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しかしスポーツ観戦などでは、非常に熱狂し我を忘れてしまうこともあるかと思います。TV見てても起こってきそうですから、実際に観に行って大勢の観客の中にいればまさに群衆的な状態に置かれているといえなくもありません。スポーツだけでなく歌手のライブやパフォーマンスを見ることによって観客が一体化することはありえることです。むしろそうした一体感を作り上げることが出来るかどうかがこうした場での成功を左右するのではないかと思います。

 

【ブーイサック『サーカス』】 

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(マスメディア発達前の見世物としてサーカスを記号論的に分析したものだと思います。私は読んでいません。ただスポーツやライブによる群衆や熱狂と関係ありそうな気がしたので載せてみました)

 

文化的に演出された現代の群衆

しかしこうした熱狂や一体感は、わざわざスポーツやライブといった場で作り上げられることによってようやく得られるものだ、という見方も出来ます。ある意味では群衆的状況とは日常の中では出くわさないわけです。たとえばデモ活動は群衆の典型的な例かもしれませんが、日本では滅多にお目にかかりません。以前SEALDsが起こした反安倍の国会デモが特筆されるくらいに、中々起きないのです(例外は沖縄くらいかもしれませんね。ただそれは、もしかしたら今でも沖縄は本土=日本と政治的に切り離された側面があるからなのかもしれません)。案外日本は熱狂的な群衆的状況を嫌がる側面があるのかもしれず、スポーツやライブといった文化の内側でのみ群衆的状況を許していると捉えてみることも出来るかもしれません。

 

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(香港のデモの様子だそうです)

 

政治と群衆

それは言い方を変えると、群衆的状況として起こってくるもののうち政治的なものを除外する傾向がある、ということなのかもしれませんね。おそらくそれは学生運動の時代の反動かもしれません。日本にも政治の時代はあったわけですが挫折して、シラケ世代と呼ばれてバブルが訪れ、そしてまた長い不況の後格差社会になりまたまた世の中(って言っても、ネット社会だけ?)が政治化しているようにも見受けられるのですが、もしかしたら今日の政治状況(ネットの中でウヨだサヨだとレッテル貼りしてる)は群衆的状況で、我を失ってお互い感化されあっているだけなのかもしれません。

 

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群衆分析の政治利用

そして群衆が問題とされたのはフランス革命との結びつきもあったからでした。いわば分析の最初から政治的だったわけですね。しかしそうして分析されたものが後々利用されてもいくわけです。そして政治的な群衆分析の最大の利用がナチスによる、ゲッベルスの宣伝戦略ですね。ただナチスは第二次世界大戦の責任から絶対悪の地位を与えられましたが、群衆分析利用はだからといって止められるわけでもなさそうです。

 

【ヒトラー『我が闘争』】 

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【ゲッベルス『宣伝の偉力』】 

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(なんとまぁ、こんな本まで翻訳されているんですね。戦前の日本はナチスドイツが同盟国でもありましたから、結構こうしたものも出版されていたようです。ヒトラーは今でも角川文庫に入っていて簡単に読めますが、ゲッベルスは戦前に出たもので中々お目にかかれません。私は一度古本市でこの本を見かけて驚いてしまったことがあります。高かった! どうやら古いけどKindleで読めるようになってるみたいですね。)

 

なんだかまたとりとめのないお話になってしまいました。これ以上混乱しないうちにやめておきたいと思います。とりあえず群衆は最初から政治的な側面で問題だったんじゃなかろうか、というだけで終えておくことにします。

 

 

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お話その191(No.0191)