日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

日本における知的エリート/知識人の宿命となる大衆との思想の乖離とは ~日本的大衆の土着的態度と外来思想による主導権争いの末路【吉本隆明『マチウ書試論・転向論』】

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前回のお話

大衆(この場合庶民か?)生活と階級的貴族生活 〜あまり平均的な生活を知らない人が決定権を持つ地位に座ることも問題があるかもしれない - 日々是〆〆吟味

 

大衆(生活者?)とかけ離れた思想 〜頭でっかちでは困ります、ってことでしょうか。

大衆に様々な問題があるのはオルテガの説明にやってよくわかるような気がしますが、では大衆からかけ離れた生活というのも問題があるんじゃないか、と考えたのが吉本隆明でした(多分。書いてて不安になってきた)。

 

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ただ吉本隆明の言う大衆はオルテガ的な大衆ではなく庶民のような意味です。大多数の人が属する生活圏として平均人である、という点はオルテガの指摘と重なるかもしれませんが、むしろ愚かな大衆、とでも一括されそうなオルテガ的大衆に対し、賢明な庶民、とでも期待されそうな存在です。そのため同じ大衆という言葉でありながら示されるものは違うことを意識しておいた方がいい気がします。

 

自立的な思想と組織化された思想

さて、吉本隆明は戦後思想の超大物なのですが、一言でいえば自立的左派とでも呼べばいいのでしょうか。組織を作ったり群れたりしないで、自分一人の立場で考えて生きていくようなことを求めたような人だととりあえずここでは考えておきましょうね(熱心な愛読者がたくさんいたから、こんな説明で許してもらえないかも)。

 

いわば自立の思想とでも呼べるものを吉本隆明は生きようとしたのですが、それに対置されるのが組織的な左派、共産党と考えてみることも出来ますね。そして共産党は別に今あるわけじゃなくて、戦前からありました。そしてやっぱり弾圧されていたらしいのですが、とっつかまって獄中に入れられ、転向して左翼思想を捨ててしまったりしたことも多かったようです。またそれだけでなく戦中も入れられていて獄死した人もたくさんいたそうです。

 

転向した人と転向しなかった人

そんな中戦後転向することなく左翼思想を持ったまま獄中から出てきた人もいました。これは結構みなさん腰がひけてしまったようです。下手をすれば死んでしまったかもしれない弾圧の中、自らの思想を捨てることなく守ったということに、一種硬派な態度と凄みを感じたそうです(誰がそう書いてたんだったかなぁ)。

 

しかし吉本隆明はそれは間違いだ、と言って批判しました。それは確固たる思想の保持などではなく、彼らが大衆(庶民)から遊離していたからだ、というのです。

 

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どういうことかというと、転向した人は転向した人で、いわば西洋の理論だけを受け取って日本の現実を侮っていた、そのため理論と現実のスレ違いにも気づかず理論的正しさを盲信していたから最後に現実に足元をすくわれて、結局侮っていた現実に溶けていった。転向しなかった人は転向しなかった人で、理論だけが大事で現実なんてどうでもよかった、だから本来日本の現実と合わないような西洋の理論だけを振りかざして守っていればよかった。と、大体このような感じかと思います(まったく自信がない。気になったら吉本隆明の本読んでみてくださいね)。

 

【吉本隆明『マチウ書試論・転向論』】 

(タイトル通り『転向論』に書かれています。私の説明はいつも通りいい加減ですので、もし関心を持たれた方がいらっしゃいましたら一度手にとってみてください)

 

生活者(大衆)からかけ離れた見識と判断

つまり大衆、いや庶民=生活者としての生き方を無視してる点で転向しようが転向しまいが同じじゃないか、と、言っているのだと思います。結局それは現実と関わりなく生きてられるエリート(階級的エリート)の勝手な思い込みだ、とでも言えばいいのでしょうか。

 

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なんだ、当たり前じゃないか、と思う気もしますね。昔のドラマで今でも時々ネタにされている『踊る大捜査線』で、事件は会議室で起こってるんじゃない、現場で起こってるんだ、という名ゼリフがありましたが、これはほとんど吉本隆明の言っていることと同じような気もします。偉い人が関係ない場所で考えてたって、目の前の出来事はここにあるんだよ、ってところでしょうか。しかし、もしかしたらこうした考え方は日本では吉本隆明を端緒として起こっているのかもしれませんし、吉本隆明がかつてもっていた多大な影響力によって、TVドラマにまで当たり前の価値観として描かれているのかもしれません(空気を読むことも、最初は丸山眞男でしたしね。また晩年の吉本隆明をインタビューして、講演集などを熱心に出していたのは糸井重里でした。ついでに吉本隆明は戦後間もない硬派な知識人でありながら、TVとかサブカルチャーについても積極的な関心を抱いていました)。

 

【踊る大捜査線】 

つまり、案外私たちが当たり前に思っている価値観は、昔の知らないけど偉い人がきっかけで生まれたり広がっていたりするかもしれないのですが、こういったところに思想の力というものもあるのかもしれませんね。

 

大衆にすり寄る者たち

って、話がズレてしまいました。ともかく立派な思想であっても目の前の生活、そこで生きている人々を無視してちゃ意味ないんだよ、という考え方は、大衆からかけ離れてしまうことも問題であるような気がしてきますね(ただ最近は左派ではなく右派、しかもネットよりの方がこんなこと言ってて、リベラルが頭でっかち、保守が生活者に根ざしてるように思っているように見えないこともありません。しかし多分そんなことは関係なく、単にそうした方が偉くなりやすくのし上がりやすいからだと思います。大西巨人という作家はこうした大衆的価値観にすりよることを俗情との結託、と言葉にしましたが、いわば俗情との結託をした方がウケやすく支持されやすい、という側面があるからではないかと思います。つまり未だ権力を握っていない権力志向の集団は、大衆の味方のフリをした方が効率がいい、ということなのかもしれませんね。しかしそうすると、本物の大衆の味方はどうやって見抜けばいいのでしょうか。う〜む…)

 

存在価値を大きくする思想的所属 〜二流論者(偽物)の出世としての意味と特徴 - 日々是〆〆吟味

 

【大西巨人『新生 大西巨人文選1』】 

(大西巨人の批評集。全部で4巻出ていますが、これは初期のもので20代から30代くらいのものです。この中に俗情との結託について書いてあるものがあります)

 

なんだかまたうまく書けませんでした。最近日をおいて書かざるを得ないので、どうもうまくいきません。またこれ以上混乱する前にやめておくことにします。

 

次回のお話

TVと80年代と素人の時代 〜街のあんちゃん(とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ヒロミ、森脇健児…:普通の人)がメディア(TV)に出るようになった。と、吉本隆明の話 - 日々是〆〆吟味

 

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お話その177(No.0177)