日々是〆〆吟味 

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

あなたは何者でもないからっぽの存在 〜からっぽ=ゼロ記号としてのキャラクター

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前回のお話

わかってくれるのは、からっぽだから? 〜キャラクターと人間とからっぽさと自我の投影 - 日々是〆〆吟味

 

からっぽの存在=ゼロ記号、としてのキャラクター

キャラクターに中身のない、からっぽの存在であることは案外日本的文化の現れかもしれない、なんて与太話を書いてみましたが、こうしたからっぽの存在であると感情移入が容易であるという考え方もあります。

 

記号論と差異の体系

たとえば記号論という分野があります。すっごく面白そうです役に立ちそうな気がするし、ふた昔前に日本でも流行ったりしたのですが、ちょっとぼそぼそとつまんで読んでいるだけで私にはよくわかっていません。それなのに無理して今回関係ありそうな部分だけを簡単に述べますと、あらゆるものは全体の体系の差異化だ、というもので、もともとは言葉の関係を考えたソシュールというとても偉い人の考え方を応用したものです。

 

【エーコ『記号論』】
記号論1 (講談社学術文庫)

記号論1 (講談社学術文庫)

 
記号論2 (講談社学術文庫)

記号論2 (講談社学術文庫)

 

(有名な記号論学者ウンベルト・エーコの記号論の本。なのですが、私はまだ読んでません…)

 

言葉と音の組み合わせと意味の表れ方

それは言葉っていうのは基本的に音なんであって、その音自体には意味がない。その音と対象が結びついて意味を示すことが可能になり、その対象と音との結びつきは恣意的なものである。そして対象となるものを呼ぶ名前の音は、他の音の組み合わせとの違い(=差異)によって決まる。

 

【ソシュール『一般言語学講義』】
新訳 ソシュール 一般言語学講義

新訳 ソシュール 一般言語学講義

 

(ソシュールの本。これは私も読みました。ただ昔のなにいってんだかさっぱりわからない古い方の訳でです。こちらは読んでませんが、きっと間違いなくこの方がわかりやすいかと思います)

 

 

まぁ、こんな感じです。

 

言葉と意味づけ 〜言葉の意味は意味なく決まる⁉︎ (付:ソシュール『一般言語学講義』/丸山圭三郎『ソシュールの思想』『ソシュールを読む』) - 日々是〆〆吟味

(前に同じようなこと書いたことありました)

 

イヌ(犬)とイエ(家)とイネ(稲)の違い

要は犬を〝イヌ〟と呼ぶのは〝イエ〟とか〝イネ〟という言葉とちょっとだけ音がズレていることによって、その音=名前が指し示すものを混同しないわけですね。〝イヌ〟も〝イエ〟も〝イネ〟も一字違いの音でしかありませんが、私たちは日本人ですからこの音を耳にするだけで犬と家と稲の違いはすぐにわかるわけです。そして音と対象とが結びついているのを私たちは当たり前に思っていますが、実のところ〝イヌ〟という音=名前が動物の犬を指し示すことにそれだけではなんら合理的な理由などないので、言葉だけを見ても外国人にはその違いがわからないわけです(もちろん私たちが外国語を前にした時も同じ問題に当たる。そして言葉の意味は歴史的に変化して今の形になっていると考えられる)。

 

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【犬の写真図鑑】

(しかし犬っていってもたくさん種類いますね。同じ犬という中で様々な種類がいることも差異化の一種でしょうか)

 

組み合わせによって体系内に位置を占める記号

つまり日本語だと〝あ〟〜〝ん〟までの五十音を使って全ての言葉を生み出していき、意味を指し示して生み出していくわけですが、これと同じように他の領域でも全体の中体系(言葉だと五十音とかアルファベットとか)の各要素を組み合わせていくことによって同じ真似が出来る、というわけですね。

 

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そしてここで表された意味のひとつひとつを記号と呼ぶそうなのですが、この記号は一応恣意的とはいえ意味があるものです。その意味は体系の要素を組み合わせることによって生まれたものです。

 

体系内で位置を占めない、欠如された記号=ゼロ記号

こうした記号のうち、あらゆる組み合わせから逃れるものを、その体系の中にひとつ作っておくとします。それは数字に対する代入のXみたいなものだそうです。123…とある数字は他の数字にはなれませんが〝X〟の中にはどのような数字でも入れることが出来ます。考えてみるととても便利な考え方ですね。

 

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これと同じように記号の体系の中にも〝X〟に当たるものがあるそうです。それをゼロ記号と呼ぶらしいのですが(間違ってたらどうしよう…いい加減な知識だから…)、これと同じようにキャラクターも具体性を欠いているために受けての望むものを投影させることが出来るのかもしれません。キティちゃんに口がないことによって受け手の感情を自由に投影(=代入?)させることが出来たり、キャラクターに自我を託したり、スターに没入したりと、もしかしたら同じ作用なのかもしれませんね。

 

【ロラン・バルト『表象の帝国』】
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

 

(記号論者バルトの日本訪問兼日本論。そして日本は記号の国である、というような理解だったとか。そして東京における皇居こそ意味のないゼロ記号だ、というわけで、日本=天皇=ゼロ記号=からっぽという図式が生まれて、日本文化もからっぽなものこそ本道なのかも、と思ったりもしてしまう一冊….といいつつ、私はこれも読んでません)

 

そんなわけでキャラクターのからっぽさとゼロ記号のお話でした。あってるのかは不安です…

 

次回のお話

からっぽなものは現実に役立つ? 〜移行対象としてのキャラクターやフィクション - 日々是〆〆吟味

 

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