日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな

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デカルトが疑ったものには世の中の通念もありました。確かに世の中にまかり通っているウソというものはあるかと思います。またウソではないけど間違っていた、ということもあります。たとえば医学知識が変わって、かつて悪いとされていたものが良い、なんていうのはよく聞く話です(逆もありますね)。しかしこれはウソをついていたわけではありませんし、また古いとされる知識が当時の判断で間違っていたわけでもありません。さらに言うと、じゃあ、今正しいとされている知識もそのうち変わるんじゃないか、と思うことだってありえます。これを徹すると何を信じていいのかわからぬニヒリズムやなんでもアリな相対主義になってしまう可能性もあります。怖いですね。

 

それはともかく、じゃあデュルケームの言ったことは間違っているのか、というと、これもまた間違ってはいないような気がします。というのも人間の認識が社会=自分自身の外から与えられる、というメカニズム自体はその通りだと思うからです。ただ、そうして社会から与えられる認識のままであっては、間違った認識を持ったままになってしまう、と言えるのかもしれません。デカルトは本当に正しいことの根拠はどこか、という風に考えあらゆるものを疑いましたが、その中に社会から与えられた認識も疑いの対象に入れ絶対の正当性の根拠がないと退けたことも、これもまた間違っていないのではないでしょうか。

 

となるとデカルトもデュルケームも間違っていないことになりますね。違うのは問題の立て方、ということになります。

 

デュルケームは人間の認識が社会から与えられる、というメカニズム自体を明らかにしました。それに対してデカルトは本当に正しいことを求めて社会から与えられる認識を疑いました。あわせて考えてみますと、人間の認識は確かに社会から与えられるが、それが正しいという根拠はない、ということになるでしょうか。つまりデュルケームはデカルトが懐疑した前提となる認識の在り方を分析したのですね。そう思っておくことにしましょう。

 

となると、じゃあデカルトが求めたような絶対的な正しさっていうのはどこに求められるのか、ということが疑問に浮かびますね。我=自我でしょうか。確かに自我はデカルトの発見した偉大な近代的概念です。しかしそれは私の思ったことが正しい、というわけではなさそうです。それならエゴイズムで終わってしまい、多くの人々が暮らす社会や集団は成り立たなくなってしまいますしね。それにデカルトのいう自我はあらゆるものを疑っても疑えないものとしてありましたが、それは同時に世界を認識することが出来るのは私以外にない、ということでもありました。ただ単に俺様サイコー、というようなものではないようです。むしろ近代文学に描かれるような、どれだけ惨めでも苦しくとも私は私でしかない、というような私(自我)の在り方ではないでしょうか。つまり自我は特権階級ではなく、逃れられないものとしてある、ととりあえずここでは考えておきましょうか。

 

となると、自我を絶対の根拠にするのはちょっと違う気がしますね。私が私であるのは存在や認識の根拠として据えられるのかもしれませんが、真理の根拠としては意味が違うような気がします。自分にとって自分が真理であるのは自由ですが、それを他人に強要するわけにはいきません。こうなると真理や哲学の問題ではなく権力や政治の問題になってしまいます。そうした問題であれば、これは間違っていない問いになるかもしれませんね。自国ファーストって、これを国家に置き換えたようなものの気もしますからね。

 

では正しさの根拠とは。なんなんでしょうか。難しいんで考えるのやめちゃいましょうか。

 

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気になったら読んで欲しい本
方法序説 (ちくま学芸文庫)

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宗教生活の基本形態 上: オーストラリアにおけるトーテム体系 (ちくま学芸文庫)

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宗教生活の基本形態 下: オーストラリアにおけるトーテム体系 (ちくま学芸文庫)

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前回は岩波文庫だったので、今回はちくま学芸文庫で揃えてみました。だからなんだ、という話ですが、どれでもいいので読めばそれでいいですよね。

上に述べたようなことがこの本たちに書いてあるわけではありませんので、それぞれつき合わせて私が思ったことでもあります。もし今回書いた内容に興味でも持たれたら、直接デカルトやデュルケームを読んでもらって考えてみて下されれば幸いです。別に私の考えなんて従う必要はありまさんからね。ご自身で考えたものを胸に抱いて、世の中を見通し動いていかれたらいいと思います。って、私がそうなりたーい! でもそれが近代的自我ってもんじゃないんでしょうか。

 

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