日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

他者性の喪失 〜セクハラの場合(付:セジウィック『男同士の絆』)

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このような他者という問題を踏まえますと、どうしてコミュニケーションが難しいのかがよくわかります。端的に言えば、お互いの規則が違うからです。相手にこう言えば伝わるだろうということが、相手側には伝わらないわけです。

 

もう少し例を考えてみましょう。

たとえばセクハラ問題があります。典型的な例として挙げれそうなのは、髪を切ったら「お、失恋」みたいに声をかけることでしょうか。私の体験したことであれば、学生バイトの女の子が夜忙しい、みたいなことを言ったのを受けて、中年の勤め人の方が、夜のバイトでもしてるのか、とニタニタしながら言っていたこともありました。その女の子は笑ってやり過ごしていましたが、多分これはセクハラにあたるのではないでしょうか。少なくとも女性が言われて不愉快になるより喜ぶということはない気がします。

 

しかし、なぜ男性はこのようなことを言うのでしょうか。理由は色々あるのでしょうが、ここでは他者性とコミュニケーションの問題から関係のありそうなところだけ問題にしてみましょうね。

 

まず考えられるのは、男性同士のコミュニティです。同性が集まれば異性の話題が出てくることは別段おかしくはありません。それに禁止されるべきでもないでしょう。性的な問題から生じる苦悩を同性だから相談できるという場合もあるからです。それは男性だけの特権というわけではなく、女性もまた異性について話すでしょう。その時異性についてはかなりどぎついことも話すかもしれません。恋人や夫婦に生じた性的な問題を話し合うことだってあるでしょうし、その最中に性的な揶揄が入ることもありえぬことではありません。それは男女共に起こる内輪の話題ですが、それを異性を前にしては普通話しません。

イヤな女特集によく出てくる、同性の前ではあけすけなのに男性の前では可愛こぶる、という女性の態度がありますね。この時、なぜ嫌われるのかといえば、自分たちの前と他の人の前だと態度が変わっているからです。これは自分たちのコミュニティにおけるコミュニケーションを裏切っているように見えるから嫌われるのでしょうが、裏を返せば同じようにコミュニティ内のコミュニケーションを維持していれば嫌われない、つまり身内の中の快適さを得られるわけです。

これを男性の側が行ったとしましょう。男性は自分たちのコミュニティの快適さを持ったまま、どこで誰と接する時でも同じように振る舞ったとします。それは裏切ることのない仲間内のコミュニティとして自明な態度だとします。すると仲間内ではウケていた女性への揶揄が、同じようにウケると思って女性にも発してしまうかもしれません。しかし言われた方は不愉快でしかありません。当然男性の持つ同性コミュニティの中の性的揶揄を理解などしないからです。

 

この時、男性は男性の持つコミュニティの中で通用する話を、他の誰でも(ましてや女性でも)同じように受け入れてくれると勘違いしている可能性もあります。それどころか、自分たちの規則=価値観のみを知るばかりで、他の価値観を知らない可能性すらあります。ですから一歩でも自分たちの外に出れば許されない言葉であっても、身内で使うように当たり前に使ってしまうのです。

 

むしろイヤな女として受け止められる女性は、こうした態度に敏感です。自分が女性コミュニティにいて喜ばれる際どい発言も、男性を前にしては拒絶されることをよくわかっているからです。たとえそれが自分が女性として男性に高く見積もってもらいたいという功利的な理由からであってもです。少なくともこの女性は、自分たちのコミュニティの規則と違う規則があることを自覚しています。

しかし上に考えたようなセクハラ男性の場合、この自覚が希薄です。というより、おそらくはありません。自分たちの規則しか知らないので唯一絶対であり、どこであっても通用すると勘違いしていることになります。しかも同性コミュニティにいれば仲間内としての快適さがあるわけで、下手をすればセクハラ発言は目の前の女性に対して親愛の印として言っている可能性すらあります。なぜならこうした冗談を言い合う仲は身内だからです。身内としての親しみを込めて、見知らぬ相手に際どい冗談を言い、自分と相手は同じコミュニティの一員だ、と示したいつもりなのかもしれないのです。

 

当然このようなこと、言われた女性は受け入れません。言われた方からすれば、単なる失礼極まりない発言です。ですがそれを理解するためには、相手が自分と違うということを認めなければなりません。しかしセクハラ男性の場合、こうした視座が欠けている可能性があります。

こうした場合、やはりセクハラ男性には女性という他者についての認識が欠けている、と言ってもゆるされるような気がします。もちろん、これはセクハラをする男性についてであって、男性一般ではありません。しかしもし男性の側で自分たちの男性コミュニティの認識と態度を無自覚なまま拡大(というより垂れ流し)してしまうことを一顧だにしないというのであれば、その点を批判するフェミニズムは正しいと思います。

 

つまり男性は同性コミュニティにいることによって、異性である女性に対して鈍感になっているのです。一方女性は同性コミュニティにいながらも、異性である男性の視線に敏感です。それは単に男女の経済的基盤からくる歴史的推移によって形作られた規則かもしれません。しかし少なくとも性的な領域で異性に対して他者性を自覚しているのは女性の方が優勢だろうとは思えます(まぁ、現代であればもうモテる男女とモテない男女で異性/同性コミュニティが分かれているだけかもしれませんが…)。

 

話がややこしくなってしまいましたが、セクハラ問題をとってみても他者性の喪失が問題の一端を担っている気がします。相手が自分と違う規則にいる、ということを自覚せずに自分たちの規則に則って、間違った方法で親愛を押しつけていることが、セクハラを生じさせる原因の一つであるのかもしれません。しかしこうした規則は自分であれ他者のものであれ自覚されることは難しく、そのためコミュニケーションは難しくなるとも考えられるのでした。

 

参考となる本
男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―

男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―

  • 作者: イヴ・K・セジウィック,Eve Kosofsky Sedgwick,上原早苗,亀澤美由紀
  • 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
  • 発売日: 2001/02/20
  • メディア: 単行本
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私はまだ読んでいないのですが、男性同士の間に恋愛でもなければ性的でもない妙な関係があることを指摘した、英文学読解を通して分析されたフェミニズムの本、ということです。読み方によってはやおいやBLの理論書に取れるかもしれません。って、そんな読み方したら怒られちゃうかも。面白そうな本ですけどね。

 

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