日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

私の苦しみを叫べば、あなたの苦しみは消える 〜私の苦しみの具体性と他者の苦しみの類型化

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前回のお話

わからない、苦しい! 〜そんな思いは人間の理解の限界を越えたところからやってくる? - 日々是〆〆吟味

 

〝この私〟の苦しみにより見えなくさせる他者の苦しみ

苦しみとその理由 〜しかし理由はわからないこともある

私たちが色々と苦しむにはそれ相応の理由、つまり因果関係があるのですが、しかしその理由となるものが〝この私〟に知ることが出来るのかといえばそうでもありません。苦しんでいる私自身からすれば相手は理不尽に嫌な目にあわされているように感じられますし、かといって相手となるその人ではありませんから〝この私〟に我ことのようにその理由や背景を理解することは事実上難しい問題です。

 

【ヒューム『人性論』『人間本性論』】

(イギリス経験論の完成者、哲学者ヒュームによれば、因果関係も単なる偶然の繰り返しであって、A→Bという関係が何度も起こるから関係あると思うんだ、という理解をしたそうです。この理解をひっくり返せば結果となった現象の原因となったものはわからない、ということになるかもしれませんね。この2冊は同じ本なのですが、何十年もたって新しく翻訳された際に題名の表現が少し変わってしまいました。ややこしいかもしれませんので、両方載せておくことにします)

 

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たとえば嫌な上司がいたとして、実はその人が家庭内で問題を抱えていて心が荒れているのかもしれません。もしかしたら配偶者が浮気の最中かもしれません。いやそんなことなく単に嫌なやつなのかもしれませんが、しかし実はその上司は自分の育った環境が不倫まみれの家庭環境だったためにちょっとねじれた性格に育ったのかもしれません。

 

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こうしたことはほとんどわからないことです。当人に聞いたところで答えることはないでしょうし、そんなプライベートなうえデリケートな問題、尋ねる方が失礼です。つまり人のことはわからないわけですね。

 

他者と身内と理解の程度

これはずっと一緒に過ごしている間柄ではなんでも知り尽くしている関係が理想ともされます。以心伝心というやつですが、これは家族や長年の友人関係のようなものだけでようやく成り立つものでしょう。すなわち共同体的に密接な間柄において可能な関係であり、見ず知らずの者同士が結びつく近代社会の関係性では困難なものです。

 

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これに対する関係性が他者というものです。つまりお互いになにを思っているのかわからない、そうした相手で、共に共通した規則を持たない者同士の関係です。これは村から出ないことによって生まれてから死ぬまで一緒にいる共同体の成員とはまったく異なる関係性ですね。

 

他者の内面は知られない

そして他者もまた私ではないがゆえに相手の内面を知ることの出来ない存在です。つまり人間の認識能力を越えた存在として他者はいるわけです。しかし他者となる人はどこにでもいます。端的に、私自身と家族と仲間以外は全員他者です。しかし他者は敵ではありません。また利用すべき者でもありません。しかし放っておくとそのような捉え方になる可能性は高いかもしれません。アリストテレスはギリシア人以外は人間未満の野蛮人と捉えましたし、マルクスの資本家に対する非難も労働者を人間としてではなく利益を得るだけの労働力とみなした点にあったかと思います。

 

【アリストテレス『政治学』マルクス『資本論』】
政治学 (岩波文庫 青 604-5)

政治学 (岩波文庫 青 604-5)

 
資本論(マルクス) 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論(マルクス) 1 (岩波文庫 白 125-1)

 

(それぞれこれらの本に書いてあったかと思います。内容は聞かないでください。私には荷が重すぎます)

 

【山川偉也『哲学者ディオゲネス』/廣松渉『物象化論の構図』】
物象化論の構図 (岩波現代文庫)

物象化論の構図 (岩波現代文庫)

  • 作者:廣松 渉
  • 発売日: 2001/01/16
  • メディア: 文庫
 

(アリストテレスの人間の野蛮人の説明は上の本で読んだのが私の今回の理解の基礎です。マルクスの考え方は物象化論と言われるのですが、日本を代表するマルクス主義哲学者の廣松渉の本があるのでこちらを載せておきます。こっちはまだ読んでません)

 

隠されてしまう他者の苦しみ

そしてもし〝この私〟の苦しみをただ叫ぶだけで終わってしまうとしたら、こうした他者の姿を自分を嫌な目に合わせる悪逆非道の徒としてだけ捉えることにもつながり、他者が囲まれている社会関係自体への視野を見失ってしまうかもしれません。そしてそれは他者を何某かのステレオタイプ(つまり構造や類型化)として捉えることにもなり、具体的なものとしてあるはずの〝この私〟の苦しみを描くはずが、他者の苦しみを切り捨てることになってしまいかねないことになります。そのため自分の苦しみをただ嘆く作品は、他者の苦しみを忘却することによって成り立っていることにもなり、それは同時に〝この私〟以外の人からすれば〝この私〟の苦しみなどどうでもよく具体的なものとして理解することのない態度とも重なり合っていきます。そしてそれは自分だけしか存在しない、ナルシスティックかつエゴイスティックな苦しみの表明ともなりかねず、結局他者を押し潰すこととあまり形がかわらなくなってしまいかねないことにもなります。

 

【岩野泡鳴『泡鳴五部作』】

(傍迷惑な自我の探求者、文豪岩野泡鳴ですが、妻と子供を捨て愛人と共に宿で暮らしながら、横暴な態度で愛人を狂わせ、放ったままに全国を旅して講演をして回り、途中再開した愛人からは、わたしを元に戻せ、わたしを元に戻せ、と叫んで責められる、という、小説)

 

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つまり自分の苦しみを表すためには他者の苦しみも含めていなければ、その態度自体が成り立たなくなってしまうという困難な立場にもなるのでした。

 

次回のお話

私とあなたは別々の人 〜集団主義から離れた個人主義という当たり前 - 日々是〆〆吟味

 

 

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