日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

動機の宗教性 〜ウェーバーの宗教社会学のはじまり

ニュートンが科学を生んだ動機は宗教的なものでした。一見して水と油のこの関係。よく考えなくても不思議な気がしますね。なんで合理的なものの塊のような科学が宗教から生まれたのでしょう。 そりゃ宗教といっても宗教そのものから科学が生まれたわけではあ…

神の意図を究明するための自然世界 〜ニュートンの目的

ところでデカルト以前の自然観は神によって説明されていました。旧約聖書にある天地創造から、世界のすべてが神の手によって作られたので、自然世界もまた神によって作られている、というわけですね。そのためこの世界には神の意図があり、それに従って作ら…

数学と芸術 〜ヨーロッパと近代絵画と遠近法

今回はちょっとおまけで、デカルトの考案したX軸Y軸を使った座標軸による空間の捉え方が、とある芸術と深い関わりを持つ、ということでもお話してみたいと思います。 デカルトが空間を数学的に捉えたので神学的な捉え方は後退していきました。それは神の意図…

空間の数学化 〜物質以外は空間を占めない。ので神は追い出された

デカルトによって自然世界における物は物、と認められるようになりましたが、それは自然世界を神の創造物としてではなく空間に存在しているだけの物として捉えたからでした。同じ空間の中にはひとつの物しか存在できず、そこに他の物は入り込む余地はなくな…

神の被造物からただの物 〜自然観の転換

ではデカルト以前の自然世界はどのように捉えられていたのでしょうか。 神によって世界は説明されていた、と前回書きましたが、キリスト教にはそもそも有名な神話がありますね。聖書に書かれている、神が7日で世界を想像した、というものです。ここから発し…

近代の数学的世界と中世の神学的世界 〜自然ってなんなのだ、というところから始まってると思います

数学化こそが世界の正しい認識だ、とデカルト以降は思っています。ちょっと前にも似たようなこと書きましたので一応載せておきますね。 世界を本質的に捉えるための数学 〜その始まりはどこにあり?(付:クライン『数学の文化史』/ユークリッド『ユークリッド…

『方法序説』の考える方法 〜デカルト曰く、これですべて考えつくせる、とのことです

デカルトは正しいことをどのように考えたのでしょうか。とりあえずヒントは『方法序説』というタイトルにもあります。方法序説って、一体なんの方法なのでしょうか。それは考える方法なのでした。 デカルトはあらゆるものを疑えると言い、確かなものは疑って…

社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな

デカルトが疑ったものには世の中の通念もありました。確かに世の中にまかり通っているウソというものはあるかと思います。またウソではないけど間違っていた、ということもあります。たとえば医学知識が変わって、かつて悪いとされていたものが良い、なんて…

疑うべきものとしての社会認識 〜4つのイドラと世の中

デカルトはあらゆるものを疑いましたが、その中には当然自分たちが常識と思っているものも含まれていました。デカルトと共に近代(もしくは近世)哲学の祖と言われるフランシス・ベーコンという人がいますが、この人は物事を正しく認識するためには避けなけれ…

自我の発見と個別化される人間 〜デカルトの疑問と共に

デカルト以前は人間の認識能力も神から与えられていました。何故なら神はすべての創造主なので、人間の諸能力も神によって作られているからです。それをデカルトは人間の中に変更しました。その根拠が我、すなわち自我というわけですね。 ですが何故このよう…

デカルトによる認識の転換 〜神から人間へ

デカルトといえば『方法序説』なのですが、この『方法序説』の冒頭には面白いことが書いてあります。曰く、良識は万人に与えられている。この良識とはなんじゃらほい、と注を見てみますと、理性と同じ、と書いてあります。では理性とはなんぞや、といいます…

社会からの認識の問題と、それに対する自我 〜まずはデカルト

デュルケームの言う通り人間の認識が社会(集合表象)から与えられるのだとすれば、色々と問題が出てきそうです。社会(もしくは世の中と言った方がいいのかな)から価値観を与えられて正しいものだと思っていても、間違っているということなどしょっちゅうあり…

人間の認識の根源としての社会 〜集合表象っていいます

こうしたデュルケームの考え方は宗教を対象として生まれましたが、なんだか社会そのものの在り方とも似ているようにも思えてきます。別段特定の宗教を信じていなくても、同じように集合表象があってそこにある価値観などを当たり前のものとして受け入れてい…

デュルケームの集合表象 〜未開部族の宗教から

ある価値観を生み出してひとつのカテゴリーにしてしまうような働きが民族宗教にあったとして、ではその働きは宗教にしかないのかといえばそんなことなさそうでした。となるとこれはなんでしょうか。それは社会現象のひとつだ、と考えれば社会学の対象となれ…

自分たちの属する世界と価値観 〜宗教は社会学される

民族宗教が自分たちの価値観を作り出し自らのものとしていくためにある、と考えてみますと、これは何も宗教だけに限らない気もしますね。前回ギャルとオタクとヤンキーとインテリを並べてみましたが、おそらくそれぞれに自らの矜持はあり譲れないところはあ…

それぞれの宗教とそれぞれの価値観 〜でも自分たちの価値観は自分たちのものだし、自分たちの中でしか伝えられないし

こうして世界宗教が民族宗教を乗り越えたものとして、普遍性を持って歴史に登場してきました。しかし、民族宗教が宗教として自分たちのために存在すること、これは別におかしなことではないようです。むしろそれが普通なのです。自分たちのことだけを考えて…

世界宗教の思想的大転換 〜身内からすべての人へ

民族宗教がこのように自分たちのことを考える宗教だとすると、アリストテレスの政治哲学のように余所者の人間に対しては人間扱いしなくなる危険性があります。民族宗教とは自分たちの秩序や倫理を基礎付けるものではあっても、余所者に対しては自分たちと同…

民族宗教的認識の問題点 〜自分たちだけで、余所者は人間じゃないんです

ユダヤ教とそこから生まれたキリスト教やイスラームがどう違うか、なんて大問題は当然私には荷が重いのでいつものようにここで考えるのに使えそうなところだけ考えてみますね。 とりあえずユダヤ教は民族宗教です。前回書いたようなユダヤ人のかわいそうな歴…

普遍性の前の民族宗教:ユダヤ教の場合 〜いじめられっこのユダヤ人

ただ、普遍的な思想とみなされるものは、やはりそれ相応の理由がある、とも考えられます。柄谷行人が世界宗教を普遍的とみなしていましたが、それは他の民族宗教と比較してそう考えられるわけです。 では民族宗教というものがどのようなものか、といえば、ど…

知られたものと知られていないもの 〜でも、それと中身は一緒じゃないかも

人が集まればまとめるために決定権を持つ人間が現れて政治が成り立つ、ととりあえず考えてみるとして、でもその一人だけでみんな決めてしまわれたら周りも困ることがあるよ、という異議申し立ても現れてくるんじゃないかな、とも考えてみました。そこでこう…

余所者との接触から現れてくるもの 〜決定と反発、そして政治

しかし余所者と出会うということは二重に考えられるかもしれません。一つは個々の人間が余所者と出会う場合。もう一つは自分たちの文化圏自体が余所者の文化圏と出会う場合。一つ目は柄谷行人が述べた他者で、二つ目はサミュエル・ハンチントンの文明の衝突…

大陸における文化の接触 〜ギリシアとインド

大陸でにしろ地球規模にしろ、随分と大きな枠組みの考えです。しかしどちらも近代化した日本について考えてくださっていて、それ以前はどう捉えればいいのかわかりません。私も知りませんので黙ってしまうしか出来ません。またいつかどこかでそんな本を読ん…

周縁としての日本と近代化、そして… 〜世界システムの中に位置づけられた日本

梅棹忠夫は大陸が歴史的に疲弊し、辺境であったヨーロッパと日本が近代において成長した、というような考えを示しました。この辺境という点において日本の近代化も考えの中に含んだとても偉い人がいます。ウォーラーステインという、なんともカッコいい名前…

大陸の歴史と辺境の余力 〜梅棹忠夫によるヨーロッパと日本の近代化

世界史ってユーラシア大陸の歴史みたいだな、と思っていると、ちゃんとユーラシア大陸から日本の近代化を考えていた人がいました。梅棹忠夫はなぜ日本とヨーロッパだけが近代化したのか、という問いを立てて、大陸は歴史的に大陸内での争いに疲れ果てていて…

偉大なものとユーラシア大陸 〜地理上の問題じゃ仕方ないよね

なんだか最近陰気なお話になってしまいがちです。日本の行く末、なんて、憂国の士みたいなことを書いたって仕方ありません。日本の文化について書いてみたはずなのですが、すぐに横道にそれてしまいますね。ろくに知らないのに書くからこうなるのでしょうね。…

共存共栄の雑種文化としての日本 〜加藤周一の日本文化の理解

日本に西洋哲学的な思想体系が存在しないということは、昔の知識人の間では当たり前の認識だったようです。保守思想の代表格である三島由紀夫でもそれを認めていたのですから、なにも今風に反日というわけにはいきません。と同時に左派でも同じ認識を有して…

偉大な文明国と空っぽの日本 〜三島由紀夫の逆説的日本評価

中国は偉大ですべてがある、と豪語出来るほどですが、では日本はどうなのでしょうか。これが逆でなにもない、という風に考えられているそうです。 三島由紀夫が述べていたそうですが、日本は空っぽの国である、他の大国と比べてなにもない、壮大な思想もなけ…

日本の取り入れと中国の拒絶 〜中国はあまりに偉大だったから衰退した?

手塚治虫とアニメの関係をお話ししていたのですが、どんどん話がズレていってしまいました。いつのまにか富野由悠季の話にまでなってしまって…え〜と、なんだったっけな。そうそう、もとは日本の文化の話をしていたんでしたっけ。 アニメや漫画が日本文化化…

『イデオン』と死の表現 〜当たり前に死ぬ人々

『機動戦士ガンダム』の後、富野由悠季は続々と作品を作っていきます。それも原作つきのアニメではなく、オリジナルのロボットアニメを作っていくのです。 このような真似が出来たのは『ガンダム』のヒットが作品だけでなくロボット(モビルスーツと呼ばれる)…

『ガンダム』の挑戦、挫折と栄光 〜屈託した人間を描いて

ロボットアニメがスポンサーの意向に従い、作品自体を描く点において制約があることはわかりました。アニメはお金がかかりますからどうしてもスポンサーをつけねばならず、またスポンサーは作品のキャラクタービジネスで資金を回収せざるをえず、そしてお金…